頑張ることも大切だけど、休むことも大切。
我慢したら、発散することが大切。
大人になるとそれがすごく良く分かるようになりますよね。
オーバーワークでぶっ倒れて…を繰り返して、ひどくなる前に自分で手を打つことができるようになってきます。
思い返せば…私が子供の頃って、頑張っても褒められもせず、ダラっとしていると怒られ、いいこと一つもなかったんですよ。だから卑屈に育っちゃって。
そんな経緯もあって、我が子には「褒める」はけっこう意識して言葉にするようにしています。そんなにたくさん褒めているわけじゃないんですが、やっぱり嬉しそうじゃないですか。言葉を操る文化の中で、言葉として届けなければ伝わりにくいですもんね。
- 片付けができたら褒める
- 準備が1人でできたら褒める
- 絵を見せてきたら褒める
- 放課後等デーサービスに行ったら褒める
- やり方を工夫できたら褒める
でね、生活と躾に追われて「子どもが頑張った時にしか褒めない自分」に気付いたんですよね。そのことを今日はちょっと書きたいなと思いました。
我が子たちは発達が凸凹で長女はADHD、次女はASDとLD、三女は幼くてまだ分からないのだけれど、どっちにも似ています。
みんな学校や幼稚園ですでにもうかなり頑張ってきているので、家に帰るとホッとできる環境を提供したいとは思っているんです。だから放課後は無理な予定は立てません。ちょっと運動と勉強をさせたいと思って負荷をかけている放デーも今のところ週一。長女は英語のレッスンがあるけど、好きで通っているので無理はないです。基本好きなことをする時間を設けています。
長女は外に遊びに行ったり、家で漫画読んだり、イラスト描いたり。家では宿題がどうしてもできないので、学校でやってきたり、先生と話をつけてやらなくても良いということになっていたりします。
次女は特別支援学級に入っているのですが、放課後は黙っていると永遠にテレビや動画を見ています。私が外へ出れば付いてきて外遊びもするのですが、私と同じで人が苦手で家にこもっています。たまにコンビニへ行って買い物してきたりも。
三女は次女と一緒に遊びたがります。一緒におやつを食べて、絵を描いて、おままごとして、動画見て、お昼寝。
小さくても立派に自分で調整してやっていってるじゃないですか。それって偉いことだなって思ったんですよね。私自身、人とのコミュニケーションを楽しめるタイプの人間じゃないので、ママ友といると不自然に合わせてばかりで疲れちゃうので、1人の時間をすごく大切にしているんです。子育てでも長時間一緒にいると疲れてしまいますから、やっぱり1人の時間を大切にしないとすごく生活に響いてきます。
上2人は特に、私のようなそういう調整を無意識にしていて、偉いなーって思ったんです。
我慢したら発散。
疲れたら休む。
当たり前のことができている。
だから褒めたい。
でもそれを褒めると、長女は「そればっかりやってていい」みたいになりそうで怖いので褒めてません。でも褒めないでいると、今度は次女が「頑張らない自分はダメ人間だ」とか思っちゃうような思考回路になりそうで怖い。
褒め方が難しい。ほんと。
疲れたら休む。
我慢したら発散する。
自分で調整できる大人になるためには、やっぱり褒めていきたいと思うんですよね。そのまま何も言わないでいると、当人の自覚が遅くなって苦労するかなとか思ったりして、変な親心が騒いじゃいますね。あー自分不器用。
度を超えたら注意してるし、時には怒ってるけれど、ちゃんと認めているのだから褒めなくてもいいんでしょうけど、褒めてあげたいと思うのでした。ただ悩んでいる話でした。
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