【感コラムvol.19】どっちでも良いという感情、両極を感じるコミュ障のアンビバレンス

感コラム

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私はアンビバレンスな部分が多いんです。特にリアルの人間関係に執着がないんですよね。興味が湧かないの。ASDっぽいので、特にそうなのかもしれません。

綺麗な服を着たり、髪の毛をキレイにしたり、美容の話なんて眼中になさすぎてどうでもいい。どこが安いの高いの、ブランド物、ちょっと考えたり、常識から判断したり、ネットで調べればわかることを良くもまぁ毎日話しているよなぁ。

いや、前までは構ってほしくて尻振ってた時期がありましたよ。アダルトチルドレンの時。でも結果は馬鹿にされることが多くて、大人になってアイデンティティがようやく確立された頃にやめました。

わたしは「どう生きるか」みたいなところに関心があったりするので、志や、何に価値観を持っているのかとか、どんなことを極めたいか…みたいなところに興味があるのですが、ほとんどの人とこんな話はしません。

自然を殺す生活をしてSNSの美しい風景にいいねを押し、選挙も行かず文句を言い、病気になっても悪習慣の生活をやめず嘆き、自己懐疑もせず悪口を垂れ流し、マジョリティが優生だと感じているような人との共通の話題なんてないし、深い絆なんて結ぶつもりもないわけですよ。

今では割り切れるようになって、お前には興味がねーよって線引きがしっかりしてきたので、無関心を装う技術でそれなりにやりくりしてます。

ネットは執着あり過ぎてXはやめられないので、それは別です。ここがなかったら私の心は死んでいると思います。


さてさて、私は陰陽思想を叩き込んで認知の歪みを矯正したおかげでアダルトチルドレンではなくなりました。マイナス思考を矯正するのにもってこいの認知療法でした。

ただ、ただよ、物事の陰陽両面を見る力が養われて、冷静な自分が居座るようになったんですよね。常に、結構な頻度で。

アンビバレンスな感情が渦巻いたりするんです。

自分が優先する感情がわからないの。特に興味や執着がないものには。どっちでも良い。居ても居なくても、有っても無くても構わない。

最近は憎い感情はないけど、毒親だった父親には憎いけど世話になって感謝してる気持ちが入り乱れたり、仕方なかったから今更何もいう事はないけど会いたくないとか。面倒くさいから早く寿命が来て欲しいけど、愛情も感じています。きっと死んだら悲しくて泣くけど、色んな不安が解決してスッキリしてうれしい。

けっこう実父はどっちでも良い領域にいるんですが、リアルのママ友も同じで、関わっても関わらなくてもどっちでも良い。

どっちでも良い人には、こう言った方が喜ぶだろうという言葉を掛けることにしてて、会えば手を振り、それなりの顔見知りくらいの関係は築けています。

つい先日ご近所ママ宅の転勤話が持ち上がり、引っ越すかもしれないって話を聞いたんですよ。本当はどっちでもいい。ちょっとキャラが濃い人で、一緒にいると面倒臭いけど居場所がある。いなきゃいないで単独行動するだけだし、振り回されなくて楽。正直どっちでもいいって思ったけど反応に困って寂しいふりしましたよね。ビジネスマンみたいに。

基本的には性質として多くの人と意見が合わないので、余計に本音は言わないようにしています。逆撫でするから。そういうのもあってか、裏ではね、片方の気持ちが「うげー」って吐いているんです。思ってもないこと言ってんなよと、もう1人の自分が吐くわけです。頭おかしい奴ですよね。

なんていうのかしら。大ヒットドラマ「VIVANT」の乃木が2人登場して二重人格みたいな、でも共存して会話しているシーンあるじゃないですか。あんな感じなんですよ。

自分でも酷い人間だとは思うんですけど、人間関係に関しては定型発達者とこうしたいああしたいという感情が芽生えないので、どっちが自分に得かみたいな打算で対応を選んでいるのが実際のところです。

やはりそうでない人はマイノリティ側の人とは惹かれ合うので、心底大切にしたいと思います。お互い理解者として求め合う仲。互いの鬱憤を晴らしてまた明日を頑張る。そういう仲の人は素でいられるから裏の感情みたいなはあまり生まれないんですよ。気持ちがピュア。すごく自分を生きている感覚があります。


あとアンビバレンスに思うことは、色んな事を知識として仕入れていると、アンビバレンスは肥大するような気がします。

今会話テクニック使ってるな…とか、この振る舞いは嘘ついてるなとか、見下してるなとか、そういうのもピンときて冷めた感情を生ませます。HSPだから余計に本心と建前のギャップがすごく分かっちゃうので、ありがとうと迷惑が共存していることが多いですね。

一瞬本気で嬉しくても、無意識に脳に検索かけてる自分がいて、すぐに両極端な感情が湧き出てピュアな自分がいなくなります。

良く失敗した話なんかを聞くと、バカじゃない自業自得でしょと冷たい自分がいる一方、問題解決するのに頭を巡らせてる親身な自分もいたり。

大人になるとこういうことありますよね。それが殆どだとキツイ。正直自分を見失います。ゲームならどれほど良かったか…でもこれは現実…。

逆に一期一会は楽しもうと思えて、そんなことはないんですよ。面白いですよね。素直に会話を楽しんだりできる。そういう人、結構いるんじゃないかな。


書いていて疑問になってきたのが、これってただの客観性じゃない?ってこと。

結構みんなあるんじゃない?

嬉しくて悔しくて、憎いけど感謝して…みたいなのないです?

これが統合失調症の一部だとしたらみんな病気じゃない?それとも病気の場合はもっとそこに何かあるのでしょうか。

私のベースには虚無が宿ってて、それはどんな喜びの中でも狐に摘まれたような感覚があったりします。心底よろこべなかったりね。そしてもろ虚無中に生きている実感を味わって自分が愛おしくなったり…

そういうふうになってから、やっぱり起伏がなだらかになって、年をとるってこういうことなのかと思ったりして。

とりとめもなくアンビバレンスを語ってみました。ありがとう。

 

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