スピリチュアルに傾倒していた頃、私はあんなに悟りたがっていたのに…
最終的にこれが悟りだと思ったのは、単なる客観性でした。
知ってた。
なーんだ。
つまんねーな。
素直にそう思いました。あんなに凄そうに偉そうにしていたスピリチュアルリーダー達、すごくも偉くも何でもないんだもの。こんなものに時間を取られていたのかと…がっかりもしましたね。
スピリチュアルを抜けて社会を見渡せば、地に足をつけて一所懸命に生活している人たちがいて、社会の役に立とうと行動している人たちがいて、悟りたいサトラーが迷走してドツボにハマっているのがアホらしく感じました。頭にメガネをつけて「メガネメガネ…」なーんてメガネを探している人みたい。ほら、ここにあるよと。
でもね、知ってたけど理解できていなかったのも事実。理解できてなかったからメリットデメリットを精査して選択していくなんてできませんでした。だから迷走したし、困りごとも多かったし、辛かった。
それにね、これまで色んなことを妙に小難しく考えていたんですよ。物事の性質を知識として学んで、実生活に役立てようと行動に移し始めたら、意外と簡単だったことも多くて。え?こんなことで悩んでいたの?みたいなことが多かったです。
知っていたのに理解できてなかった…
知識だけでは物事は操れず、感覚として落とし込んでいく大切さをアラフォーになって知りましたよね。
過去を振り返って、どうしてそうなったか?みたいな振り返りってしたことなかったんですが、大切なんだなって思いましたよね。反省って自分を責めることではなく、現状を把握して、次はどうしていくか?っていう手立てを考えていくことだと思いました。
それには自分が関わっているあらゆる関係性を整理できていたり、所属してるグループの大まかな性格だったり、それこそ自分の長所短所や得意不得意を知っていないと難しいと思いますが、そういう視点を持ちはじめると、環境の調整ができるようになってきて困りごとが解決しやすくなってきました。それなりにやっていく覚悟みたいなのも備わってきましたしね。
悟れなかったら、客観性を育てるのはオススメします。
悟りストーリーは私を混乱させましたから、やめた途端に面白いほど色んなことが分かりはじめました。自分に合ったアプローチで理解することは非常に大切だなーと思います。
客観性を磨くとそれが正解だと思ってしまいがちだけど、そうではないですね。客観と主観の割り振りを見極めて、周囲との調和や自分との調和のバランスをとって日々暮らしていくだけかなーって最近思ってます。
あんまり客観性養ってても虚無に陥っちゃって、ダメなんですよね。
やっぱり自分を生きてなんぼ。
でも我が儘だけでは生きられない。
正解がないって難しいですよね。
何でしょうね、バランスって。
まぁ、だから…
その時々、こうしたいああしたいっていう気持ち、大切にしていけたらいいなって思います。
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