「チ。地球の運動について」信仰と科学、心の葛藤の描写とリンクしたASDの感想

チ。地球の運動について

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どうも超感覚的知覚を持つASDの日最藍です。

2024年4月に「チ。地球の運動について」という漫画を読みました。

私は過去にスピリチュアルを自ら信仰しようとし、そこで納得いかない困った経験を沢山してきました。スピリチュアル界での酷い体験が悔しくて…脱スピリチュアル後は、どうしてそんな事になってしまったのかを解き明かす為に、洗脳や信仰、哲学について自分なりに紐解いていきました。

スピリチュアル信仰を抜けても、ヒーリング時に感じる見えないエネルギー。この感覚は一体何なのか?エネルギーワークや遠隔術を現代的に解釈していくとどんな理論になるのか?怪しいとか言われる寂しさ、払拭したい悔しさ等が入り乱れている状態の私。

そういった過程を経ているので、「チ。地球の運動について」は宗教絡みで非常に興味深い内容で、久しぶりに作品に食いつき、ブックオフで大人買いしてきました。

その所感を書き留めてみようと思います。

だいぶ先が分かり過ぎて感動が薄い

拷問シーンは「うぎゃーうぎゃー」と虫唾が走る嫌気を感じるものでインパクトはとても強い作品でした。

しかし全部とはいえませんが、殆どが何となく先のわかるストーリー展開でドキドキハラハラはそこまで大きいものになりませんでした。最終話まで読み終わってみて、残念ながら余韻は残りませんでした。

  • 「どうせ地動説は世に広まる」という暫定的な確信が物語に漂いました。
  • 信念を優先させすぎで、キャラが死ぬのが分かってしまいました。

流石にヨレンタが自殺したのは予想外でこの後どうなるんだろうと気になりましたが、それでも「また信念か…」というシンプルすぎるほどのシンプルさに冷めている自分もいました。

信念の下で殺すアレコレは頭と心の描写

でもね、私はこの作品をディスるつもりはありません。

むしろ「良かった!」の方が大きいです。

深掘りしていくと、先が分かり過ぎて面白さが半減した理由が明らかになっていきました。

生きてるとありません?こっちの情報が絶対に未来に役立つ確信ってのが。

例えそれが多数の同意を得られなかったとしても、どうにか周囲に説得してより良い未来を築きたいと願い、どうにか理解してもらいたいと信念を持って説得できる知識を蓄え、分かりやすく流布する活動に勤しもうって意気込むことって。

これまでの考え方を捨てた方が豊かさが訪れる確信がある時には、大抵わたしは古い考え方に執着しつつも最終的には手放して新しい考え方を採用していきます。皆さんも同じだと思います。

殺されていった人達、自爆したヨレンタ等、信念を貫くためには命をも殺す描写が多かったですが…。アレ、そういった時の心の葛藤と同じだと思いませんか?

持っている固定観念を揺るがしても尚、惹かれる新しい情報。情報をかき集め、整理して、自分を納得させて次のステップへ導いていく。時には他人には受け入れてもらえない考え方に挫けて封印したり、でもまた引っ張り出して向き合っていく過程そのものだと思いました。そういった頭と心で巻き起こる描写をシンプルに描き上げたのが「チ。」なのだと感じました。

だから物語を読みながら、自分はこの体験をしたことあるという感覚がずっとありました。そういう理由で先の予測が付いたし、感動が薄かったのかもしれませんね。

ASDならではかもしらんけど、キャラが覚えられない

余談です。

一気に読んだにも関わらず、キャラが覚えられずに後半頭が混乱しました。ASDで普段から人の名前が覚えられなさすぎて困っているんですけど、この漫画でもそれは起こりました。

カタカナの名前苦手すぎて、全くもって相関図が描けませんでした。

8話のアルベルト誰?

最後に出てきたこいつ誰?1話のラファウか。えっ?生きてるの?

時代も把握できてないで読み進めていたので、最終話にだいぶ混乱しましたね。8話は全くもって頭が追いつかず、かなりのポンコツぶりを発揮して読みました。

頭の整理とアルベルト

ということでね、混乱もしたものの、「チ。」は自分が過去に通ってきた思考旅行を、非常に分かりやすく物語化してくれた漫画だったと思います。非常におこがましいとは思ってますが、これが素直な感想です。

「チ。」は作者の伝えたいメッセージが強く、読者を楽しませるっていう目的よりも、痛みで刻む作者の解説漫画と言っても過言ではないと思います。そして自分を外側から見ているような気分にさせてくれました。

アルベルトの虚無、私にも宿っていて、その虚無は2年くらい前までとてつもなく大きいものでした。現在は小さく収まってはいるんですが、自分を見失っていたんだと思います。

以下アルベルトと牧師のやりとりです。

どちらか選択する必要がありますか?

えっ?

疑念と信心。二つ持っていて不都合が?

ええ、不都合だ。その二つは矛盾する。

(中略)

身体と魂、理性と信仰、哲学と神学、疑うことと、信じること。これらの矛盾は両立します。何故か?それが人間だからです。

私も神様はいてもいなくてもどっちも正しいと結論付けた時がありました。ちょっと脱線しているかもですけど、私の中では妙にリンクし、それが私を肯定してくれているように感じました。静かにグッときました。

スピリチュアルを止めてから洗脳信仰が何なのかを自分なりに突き止め、一時期右脳的な解釈、神秘化自体を嫌う時期がありました。しかしその後も思考は止まらず考え続けていたんです。するとある時に「科学を軸に生きても良いし、神を信じて生きても良いのだ。自由であり、解釈の仕方に正解はないのだ」と理解した日がありました。

「どれを選ぶと全体像をうまく捉えられ、深く理解し、幸せに暮らせるか」ただそれだけなのかもしれないと…つい最近行き着いた答えでした。

どっちもあって良い。

きっとどっちかを嫌うと大切な何かを見失うことがある。

最終話は大ドンデン返しで、主観が外れ、視野を広くもたせてくれます。

矛盾の両立、宿命を受け入れて進む強さ、天命を全うする情熱。

自分という奇跡への愛、慈しみ。

あれ?書いていたら感動してきました。1度目はあんなに感動が薄かったのに、今更じわる感動。じわじわ。

さいごに

ぜひ何度も読んで欲しいです。

読む度に解釈が深まる、良い作品だと思います。

ドゥラカは無くなりましたね。金より神の方が尊いというメッセージでしょうか。いや、でも1割しか入らないんだから、どうして?ちょっと理解できませんでしたが、どうか意味のある死であることを願います。

天動説も地動説も、単なる視点の違い。

新しい知識は取り入れて、古い理論は愛したいですね。


他にもあるよ!作品レビューはこちら!

 

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