アハ体験!絶対的な虚無感と共存している人が気づいた虚無の理由と愚痴

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どうも日最藍です。

先日アハ体験が起こりました。バラバラだった点と点が繋がりました。

今日はアハ体験が起こった、私の中にある絶対的な虚無感の理由について書いてみようと思います。

時代のせいと集団意識の正義

先日ジャニーズの性加害について書きましたが、その中でとある大物有名人が芸能界の闇をうやむやにしてきたこれまでを「そういう時代だった」と言った話を書きました。

それでね、私はそれに腹を立てました。

読んでもらえると分かると思いますが、私は自分の事を棚に上げて腹の底からずるいと思いました。

感コラム

あれからもずっと「そういう時代だった」というフレーズが頭にこびり着き離れないでいます。そういう時代って何だよ。そういう部分を見て見ぬふりして稼いできた責任はないのかよと…。

でね、最近何となくですが分かったことがありました。それは多数の集団意識はどんなに間違えた行動をとっていても、「その時の正義」になるのだと。SNSのFFさんがそういう感じのポストをしてくれて腹落ちしました。(鍵でご紹介できないのが残念)

みんなが正義だと感じれば、咎められない。赤信号、みんなで渡れば怖くないってね。

情状酌量ってやつですかね?むかつくね。ほんと。

当時一部気づいていた人も、お堅い…重い…めんどくさい…などと言われていたことでしょう。いい大人がだって仕方ないじゃんってのうのうと語る姿は滑稽で仕方ありません。

概念が変わるのが約50年説

怪しい

時代の概念が変わるのが約50年なんだそうです。これも前にSNSのFFさんのポストで知りました。

マジョリティ側の集団意識、社会の多くを占めている定型発達の集団意識が変わるのに約50年を要するということです。

内閣府の消費動向調査によると1960年に44.7%(都市世帯)だった白黒テレビの世帯普及率が9割(全国世帯)を越えたのが1965年、カラーテレビの普及率が9割を越えたは1975年である(図録2650参照)。

テレビ時代の盛衰

テレビが普及したのは高度経済成長の1950年代後半ごろだそうです。1965年には殆どの家庭がテレビを持っていたとして、2023年にようやく芸能業界の性加害が注目されて問題視されるようになりました。その間約58年になります。なるほど…50年って間違ってないですよね。

2000年に一度ジャニー氏の性加害の報道がされた時期にはまだ35年。まだその時には集団意識が未熟であったため社会的に大きな問題には発展しませんでした。2023年にようやく機が熟したということです。

正直なところ、50年もかからなくない?私のXのFFさんなら絶対に初期で問題解決をしているはず。もしくは最初からしない。

最初から問題提議してて潰された人いるでしょ?長いものに巻かれるしかなくて自分を見失ってた人いるでしょ?居場所がなくて辛い思いしてきた人いるでしょ?

そういう人たちは私と似ている性格をしているんだと思います。

こういうことをしてきてさぁー、そういう時代だったとか言って自分守ってんじゃねーよって思っちゃってね。見損なっちゃいますね。

本質を見失えば、タイムラグが大きくなっていくんですよ。その差があればあるほど本質を見抜く少数派の居場所がなくなっていくんですね。

虚無の理由

爆発

多くの人と意見が合わない自分は、たいてい自分の意見を述べるとその場を凍らせたり、失言になったりして、自分の本当の意見は横に置き定型ファーストしなくてはなりませんでした。

こんな分かりきった事を50年もかけてやいのやいのやっている姿は実にアホらしいと思いますが、何よりも最終的に自分の意見が合っていようが、マジョリティのスピードに合わせて子育てのように励まして褒めて諭してやってかなければ嫌われるだけです。

考え方が違うというだけで「THE普通」から排除されてヤバい奴扱いしてくる人たちの理不尽さったら半端ないですよね。

これ私のポストなんですけど、引用元見てほしいんです。

人って不公平、理不尽、無意味を味わった時にモチベーションが消えるんですって。本当は正しかったのに酷い扱いされて、あの時ごめんなさいも言われないなんて。そんな事がしょっちゅうありましたもん。理不尽ですやん。

自分が嫌がることをしちゃった時には陰口叩かれたり避けられたりするのに、お前らは謝らない。理不尽じゃないか。集団意識はどんなに方向性が間違ってても「正義」であるならば、右往左往して馬鹿みたいに困っていようが勝手にやってろよという気分になります。種の保存的に多数派を正義としなくてはならないのならば、もうそれは仕方のないことかもしれませんが、ムカつきますよね。

色々と気持ちが溢れちゃって申し訳ないんですが、こういう気持ち共有できる人とはお友達になれそうです。

もちろん自分の負の部分もちゃんとあるということは認識しています。自分が時代に押し流されている部分も感じとっています。ですから、結局わたしは絶対的に正しいと言いたいわけじゃないんだけど、理不尽だなって思うことが多くてやってられないってお話をしたかったのでした。

さいごに

葉

虚無って大きいと辛くなるんです。

虚無に酔ってる人は気持ち悪いので付き合いたくないですが、虚無ってこの物質世界になんにもない感覚がして、ブラックホールに吸い込まれるような、自分すらいなくなるような、何やってんだろう面倒くさいっていう気持ちに襲われ、生活に活力がなくなってしまうんです。

死にたいじゃなくて、消えたい。このまま消えてもいいかもっていう気持ちが襲ってくるんです。現実がままごとのように感じられ、なんでこんな人たちと生きていかなきゃならないのか…ってやってられなくなるのです。

ちょっと今日は感情的になりましたね。すみません。私が42歳にして言葉にできた怒りでした。

虚無が大きくなる日はとても辛いです。

20代の頃、わたしはギャンブル依存症になり生き地獄を味わいましたが、あの時からこの怒りは変わらずに抱えています。いや、幼い頃から大人たちに疑問を持っていました。

この42年間、心のどこかで自業自得じゃんって冷たい目で人を見る自分がいます。

人とは違う自分を感じ、自分に自信がない日々を過ごしていた時も、アラフォーになって世界の見方がガラリと変わってアダルトチルドレンを回復させてからも、何ら変わらず自制しない自己懐疑のない茶番劇のような社会に虚無を感じてきました。

別にこの人たちと戦ったり拒否したりするつもりもないけど、あんまりそばにいたくないっていうのが本音で、ある程度で線引きして社会に関わっています。

そっかー。この虚無はわたしの中にずっといたんだなー。

通りで生活が面倒くさいわけだよ。

誘われると気が重いわけだよ。

居場所がごく僅かなんだから。

ネガティブモードですけど、大丈夫ですよ。だってそれを言ったってどうにかなる?どうにもならないって分かってるし、不毛ですよ。相手を優しく包んでる訳でもなく、あまり嫌われないようにし、想いをこうやってたまに吐き出して目の前のことを淡々とやっていくだけです。

たまには毒出し。

こっそりとね。

どうせ言ったって理解しようとする人なんて滅多に居ないんだから。たまにはね。

 

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