どうもnimoです。
今回はスピリチュアル界では知る人ぞ知る「津留晃一」さんのお話をしたいと思います。
私ね、脱スピリチュアルをした時、スピ系の本をごっそり捨てたんです…。
残した本もあったんですが、津留晃一さんの本はゴミ箱行きに。今回はその理由を書いてみたいと思います。
津留晃一との出会い
まずは、私と津留晃一さんの出会いを。私がスピリチュアルに傾倒したきっかけは幾つかあったんですが、津留さんは崇拝レベルで崇めていた人物の一人でした。
たまたまネットで見つけた「新人類への覚醒進化プログラム」に釘付けになったのがきっかけ。
※今ではサイトが新しくなって雰囲気が変わっていますが、まだ読む事ができます。
数日迷って、HPから本を数冊購入しました。
- 幸せテクニック
- 小冊子を数冊
- 津留さんが、心から伝えたかったこと
特に小冊子が好きでしたねー。講演を文字に起こしたものでした。私と同じ悩みを抱えた人の質問に回答するQ&A形式でね、ヒントを得ようと蛍光ペンで線を引きながら何度も何度も読み返しました。
M2テクニックも何回やったでしょう。
育児でイライラすると、キッチンに走り、隠れて何度も何度もM2テクニックをやりました。
でもね…。こんなに気にいっても、何度も本を読んでも、M2テクニックを何100回やろうと、私は全く幸せにはなれなかったんですよ。
ですから私は脱スピしてからずーっと考えていました。津留さんの何がいけなかったのかを。そして一つの結論に達しました。
津留晃一は怒りの感情を隠すだけ

津留晃一は、怒りの感情を隠すだけだったんですよ。
この世の理は何となく合っていると思います。ちょっとエックハルトに似ている部分もあり、概念の話もイメージとして捉えるには良かった。後で思い返してみても、なるほどねって思うことは多くあります。
でもね、あの人は怒りの感情を奥へ奥へ追いやって、見ないフリをしていたんです。
本がないので引用が難しいんですけど、何の本かも思い出せないんですけど、ちょっと思い出して書いてみますね。
怒りの感情を呼び起こしてみたら、ちゃんと怒りは私の中にありました。かっかかっかして私は怒っていました。私はそれ以降怒りを引き出すのをやめました。
こんな感じの一文があって、それが頭に強烈に残っているんです。違和感として刻み込まれたんです。
怒りの感情を隠している。存在を無いものにしようとしている。
これ、メンタル回復にはやってはいけないことですよ。「どうりで私、スピリチュアル界ではメンタル回復できなかったわけだ」って思いましたね。
スピリチュアル界とポリアンナ
スピリチュアル界って津留さんの様な人が多いんですよね。「ありのままで」という割には怒りを隠してる人ばっかり。
それは社会人としてコントロールしているのとは違い、ちょっと異様な有様なんです。そういう人こそ自分は悟ったとか言う始末で、得意気になっていたりします。
そういう間違った悟りの修行中の人も、もちろん怒りの感情が出るのは精神修行が足りないと思っていて、ポジティブシンキングの修行が行きすぎてポリアンナ症候群になっている人は多くいました。
ポリアンナ症候群は、直面した問題に含まれる微細な良い面だけを見て負の側面から目を逸らすことにより、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状のことである。別の言い方で表すと、楽天主義の負の側面を表す、現実逃避の一種だと言い換えることもできる。
Wikipedia
そんな私もアニメのポリアンナを見て感動し、こういうふうな人間になりたいと願った人間です。類は友を呼ぶ。なんの躊躇いもなくスピリチュアルに傾倒したのだと思います。
その後わたしは怒りの感情を悪者にして、思想を駆使して存在を消そうとしていました。特に脱スピ前にやっていた非二元は、ちょっとおかしくなりましたね。その行為が追い討ちをかけて、私はどんどん思考が歪みました。
引き寄せの法則が輪をかけ、もちろんポリアンナ症候群にもなりました。あんまり怒らなくなったけど、大人として機能していませんでしたね。なんかもう破茶滅茶になってしまい、あの頃を思い出す度によく育児できていたなと思います…。
わたしの場合確かに怒りすぎていました。怒りの2次感情を抱えていて、それが問題の根源でした。なぜ怒ってしまうのかを冷静に分析して改善する事が必要だったんですね。
当時はそれが分からなかったですけど、もうここでは幸せになれないと悟り、一大決心をして脱スピリチュアル。スピリチュアル系の本はほとんど燃やすゴミへ。
津留さんもちょっと名残惜しい気もしましたが、怒りの感情を隠す行為事態がヤバいので、うっかり子供が読んでしまったらとても危険だと判断して、燃やすゴミに捨てました。
さいごに

皆さんは津留さんをどう思いますか?
スピリチュアルの王道でいうと、小林正観さんやスリムドカンの斎藤一人さん、並木良和さんなどが有名ですが、私は有名どころには目もくれず、ピンポイントで津留晃一さんが好きでした。
宇宙という表現にインスピレーションを掻き立てられたような気がします。だから好きだったのかも。それでも上手くこの世の理を捉えきれませんでした。正直今でもちょっと好きです。良いことは言っているから。
でも必要ない。わたしは津留さんみたいな生き方は要らないです。
うん。捨てて後悔はありません。
ではさいごにもう一度。崇拝していた津留晃一の本を捨てて脱スピリチュアルをした、たった一つの理由は…怒りの感情を隠していて、メンタルには良くないと思ったからでした。それではまた。
なんだこの人っ!!
ものすごく真っ当なことを言っている。