どうもnimoです。
わたしは現在42歳で、小3・小1・年少の育児真っ只中です。そんな中さまざまな洗脳を解いてきて、考え方、動力などが変わってきたことにより、第二の人生が始まったなと感じています。
入学や卒業、結婚に出産と、これまで幾度となく節目を迎えてきましたが、今回は人生という大きな舞台の意識の転換、意識の第二のステージに立ったと感じます。
かといって特に生活は大きく変わる事はありませんが…。
頭の中が変わって、心の安らかさが増えました。
私は発達障害のアスペルガーだと思いますが、ものごころついた時から既に二次障害を引き起こしており、年頃になってからはいつもこんなことを考えていました。
そういったことが常に頭にべったりと纏わりついていた私が、、、
これまで読み取れなかった側面を理解することが出来るようになり、こんな世界にも自分にとって魅力的な部分があることを知ったり、希望やよろこびも存在していることに気付いたのでした。
もちろん悩みがなくなることはありません。日々の生活において、迷うことは数多くあります。
しかしながら生きることについては「生きてみてもいいかな」と変化し、自分の幸せに真剣に向き合えるようになり、一歩一歩ゆっくりですが自分の足で前へ進めるようになりました。
もちろん一度身につけてしまった「死にたい」という希死念慮はときたまやって来て、完全に消えることはありません。生きていたくないという気持ちも存在しています。しかしそこに停滞することがなくなり、辛い状態が続くことからは概ね回避できるようになりました。
淡々とそれなりに生きられるように。
私は発達障害のASD、アスペルガー症候群です(※自己診断)。発達障害により引き起こした二次障害を回復して分かったことをシンプルにまとめました。ここに何がどうなっているのか理解がすすむ「メタ認知力」の育みをお伝えします。
Contents
メタ認知力
人生迷走から自力で抜ける答えは、このひとつ。
メタ認知力をつけます。
本当にこの一言に尽きるのではないかと思います。自力でスピリチュアル洗脳を解いた個人的観点から説明すると、このメタ認知力はスピリチュアル界ではハイヤーセルフと言われています。
初めてこの言葉を知ったのはビジネス関連のサイトでした。うつ病にも効果があるようで、たくさん本が出版されている事を知りました。
どの界隈でもこの能力を養おうと目指す、一つの指針になっている様です。ではメタ認知は一体何かと言うと、以下の言葉に集約されます。
メタ認知は「客観的な自己」「もうひとりの自分」などと形容されるように、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力である。
Wikipedia
わたしは何故かこれまで医者に通うことを選べませんでした。ですから自力で認知の偏り、自動思考の矯正してきたのですが、後から自分を振り返った時に、メタ認知を身につけていた事に気がつきました。
認知している自分を認知する視点を持つと、自己をコントロールすることができます。
脱人生迷走を終焉する答えは簡潔ですが、、、
いやはや、、、やる事はいっぱいです。
でも頑張ってよかったです。
今後発達障害の二次障害を引き起こさない為にも、身に付けておいた方が良いスキルであり、今後も続けていくライフワークになりました。
メタ認知力が身についた4つのポイント
メタ認知力をつけるということは、全体を知ろうとすること。
まず全体があり、その中で今の自分はどんな状況であり、どんな状態でいるのかを把握することが重要でした。
①自己への理解ができていないことを自覚する
とにかく私は私のことが分かりませんでした。
- 自分が世間でどんなタイプの人間で、それが周囲にどんな影響を与えているのか
- 自分が何に傷つくのか
- 自分がどんなものを好むのか
- 自分の体はどういう性質があり、何に気をつけなければならないのか
驚くでしょう?でも私はそういった自分に関することを、全く理解できていませんでした。
自己理解ができていなかった私は、メンタル状態がおかしいことにも気づけなかったのです。
ASDの為か視野が極端に狭く、白黒思考で、考え方に偏りがありました。柔軟性のない私は無論社会でうまくやっていけずに精神を病んでいきました。
死にたいと思うほどに自分自身を追い込んでしまっても尚、自分の考え方が歪んでいることに気付けませんでしたし、自分が病院へ行った方がいいレベルである事も分かりませんでしたし、独り立ちしてからは守ってくれる人もいなくて、みるみる社会の底に堕ちていきました。
もちろん自分が自分に対する評価も歪んでいたため、アダルトチルドレンという状態に陥り、私は自分の中にも居場所を見つけられず、とても苦しい思いをしました。
そういう辛い状態から脱することができたのが「メタ認知」だったのです。
②陰陽思想で考えかたの基礎を修正する

理論や思想というものは人間が生き延びる為に作り出した、生きる知恵ですよね。この世界には様々な理論、思想が生み出され、継承されています。宗教も同じですが、様々な解釈で物事を捉えて、人々は生活に役立てています。
異常なポジティブシンキングに陥っている人たちが多いスピリチュアルを止めて、過去を振り返り、その様子の成り行きを照らし合わせて最初に行き着いた思想は、『陰陽』でした。
この考え方はかなり腑に落ち、いかに自分の考え方が偏っていたかを痛感したものでした。無理矢理ポジティブに変換して、ネガティヴは一切排除しようと躍起になっていたあの頃は、完璧に無敵になろうとしていました。もちろん苦しくなる一方で、ネガティブになって良いとネガティブを完全に受容した時から、気持ちは和らいでいきました。
闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男などに分けられる。これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。
重要な事は陰陽二元論が、この世のものを、善一元化のために善と悪に分ける善悪二元論とは異なると言う事である。陽は善ではなく、陰は悪ではない。陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる。あくまで森羅万象を構成する要素に過ぎない。
Wikipedia
陽は善ではなく、陰は悪ではない
正にその通りだったのです。
日常でこんな言葉を耳にしたこともあるかと思います。
「表裏一体」
この世界はコインの表と裏
良いことも悪いことも、相反するものがセットである
実はこの表裏一体はスピリチュアル界で知りました。スピリチュアルでは迷走を抜ける事は出来ませんでしたので、そこに居座る事をオススメはしませんが、これに関しては推奨します。
出来事も性格も状態も何もかもが中立であり、中正です。どんな事柄にも良し悪しがあり、大きな強みがあれば、それは必ず最大の弱点となります。それが故に個々の優劣を明確に分ける事が出来ません。
私はこれが物事を見ていく上で、とても大切な視点だと考えます。世界の見え方がガラリと変わり、お金持ちの人も、ホームレスの人も、子供も大人も、命の尊さは公平なんだと理解できました。
私はこれを個人的に「他者受容」と呼んでいますが、どんな人も状態も状況もなんとはなしに受け入れられるようになると、非常にこの社会で生きやすくなってきました。あの人はどうの、この人はどうのと、必要以上に腹を立てることが少なくなっていったのです。
すると自分への眼差しの偏りに違和感を感じるようになりました。そう、外側から内側に視点が動いたのです。
「わたしは自分のデメリットしか知らなかったから、辛い気持ちばかりだったんだ。だから自分にも良い面がある事を認めて、自己理解に励めばいいんだ。」
とてもシンプルなことに気付けたのでした。自己否定のプロだった私は、自分の素晴らしい面に目を向け、否応でも認めたことで、肯定する気持ちを手に入れることができました。
マイナスしかなかったところにプラスが注入され、陰陽二極・表裏一体となり、2つとも手に入れることが出来たのでした。
まさかこの思想を採用したことにより、アダルトチルドレンが回復するきっかけになるとは思いませんでした。ありのままの自分を受け入れられるって心地よいんです。体感としてはものすごくリラックスした状態になります。
自分が一番居心地が良い
今までどこにもそういう場所がなかった私は、自分を責める自分が居なくなった事で、安心して自分と居られるようになりました。
私はこれまで認知が狭かったことを認めました。39年間のこの世の見方が自己へ苦痛を与えるものだったことを理解しました。
私はたまたまこの陰陽思想と出会いましたが、この手の感覚が掴めるものであれば何でも良いのです。哲学でも生物学でも、自分の把握しやすいジャンルがオススメです。
③コツコツと10000時間がんばる
この新しい陰陽の考え方をインストールするのには2年ほどかかったと思います。どんな物事も両極持っているのだと、わざわざ変換することなく自動思考に変化していくまでは2〜3年くらいでした。
何事も極めるにはおよそ10000時間が必要だと言われていますが、まさにその通りだと思いました。
42年も生きていると10000万時間を費やしたものが幾つか出てきます。おおよそ10000時間くらいで当たり前になってきて、探究心が薄れて飽きてきます。つまり難なくこなす事が出来るようになってくるのですね。
当たり前で残酷ですが、人生一発逆転などなく、コツコツと積み上げたものが現実に反映されているということが、10000時間をかけたものを振り返ると嫌でも腑に落ちてきます。
実は自己否定もただの積み重ねです。単に否定のプロになっているだけなのです。
毎日やっていることは身につき、
やっていないことは身に付かない。
とても単純でシンプルでした。
例えば、、、(わたくしごとですが、、、)
- 太る生活を積み重ねて、はや3年。運動もしないのでお腹がスクイーズ。
- 料理の勉強を40年しないので、いつまで経っても下手くそ。だけれどそれなりにゆっくり上達はしている。
- 片付けのイロハを独学で10000万時間やり尽くし、基準を持って整理整頓しているお陰で、家は3人の子供であっという間に散らかりますが、簡単に片付く家になっている。
- メンタルの整え方を10000万時間探究し、バランスを整えられるようになってきた。
良いも悪いも自分が時間をかけたものが、肉体に表現されて、実生活に表現されている事実は免れません。
やれば出来る、やらねば出来ぬ、何事も。
これは基本中の基本ですが、チャレンジをしなくなると、その基本を忘れがちに。これまで出来るようになったことを当たり前だと思わずに称え、やりたいと思っていることはとりあえずやってみることが必要だなと感じています。
私はアダルトチルドレンでしたので、失敗を恐れて完璧主義に陥っていました。失敗したくない気持ちが優先して、チャレンジを諦めてしまうのです。
淡々とそういう癖に気付いて、一歩踏み出してみる事で、なんと達成感もセットでついてきます。頑張った分だけ必ず現実に反映され、自信もついてくるのですね。
④自己懐疑
とは言っても、私はアスペルガー。基本的には白黒思考で完璧主義です。
それはもう変えることのできない宿命みたいなものです。
じゃーどうしろというのさ?
という事なんですが、、、
次のポイントに完璧を求めたら良いのではないか?と考えるようになりました。

「メタ認知力を据えて、あえてアスペの自分らしく生き、バランスを崩した時に自己懐疑ができるようにしていく」ことを完璧にする。
いくらメタ認知力を高めようが、常時客観的に生きていけば、陰陽の意識がどっちもどっちだと誘導し、世の中が馬鹿らしくなり、自分を失い、虚無が襲い、メンタルが病んできます。開き直ってモラルがない人間に堕ちた人もスピリチュアル界で何人か見てきました。
人間とは価値観という宝物を拾い集めて生きています。
ですから自分が大切にしたい価値を磨けないことは、とても辛いものになりますよね。基本そのままでいいのです。
でもそのままで上手くいかなくなってきたら、一度立ち止まり自己懐疑してみるのです。自分も周囲もひっくるめてできる限り広い視野を持ち、客観視しながら自分の行動を振り返り加減を修正していくのです。
わたしは必ずどこかで周囲とのバランスを崩して大変なことになるので、周囲が放っている不調和、違和感を感じたら、自分を見つめ直すことをしています。指向性が強すぎて、内向き過ぎて、周囲の大切な人たちを傷つけがちだからです。ですから自己懐疑は人間関係においては必須項目になっています。
すると大失敗からは逃れられ、次第に不調和の種火をサインとして読み取れるようになっていき、ケアができるようになっていきます。もちろん自分を止められなくてやり過ぎる失敗も多々ありますが、そこは次の課題として対策を考えるようにしています。
こういった自己理解をすることが一番重要です。ネガティブな部分を卑下することを止め、受け入れて対策を講じていくだけだったのです。
私は自分を信頼していますが、自分を信用をしていません。よく自分の価値観に反する行動をとりがちですし、多くの人とコニュニケーションの取り方が違い、人が嫌うことをやりがちだからです。だからといって自己懐疑ばかりしてもられませんので、困った時だけ自分の行動を振り返るようにしています。
この4ステップを踏んできたのですが、自分を俯瞰しながら調整やコントロールする過程、これこそがメタ認知です。
自分自身を冷静に見る力は、軌道修正するのに一役かってくれます。人生迷走という大きな迷いから抜け出したい人にはオススメしたいワードになります。
わたしの思考行動プロセス
余談ですが、おまけ程度に残しておきます。メタ認知をつけている時の、わたしの思考プロセスはこんな感じでした。
さいごに
何がどうして、こうなったのか。
何をどうすれば、ああなるのか。
そんなことを思考だけではなく体感で落とし込んでいくと、エラーが治まったり、采配ができるようになってきます。
事実、子育てでイライラしっぱなしだった2016年頃からは、月一でヒステリーを起こしていた私。丸2日も怒りっぱなしで制御不能なことも頻回にありました。その時に比べると、メンタルは雲泥の差です。家庭環境も最悪からは抜け出せました。
まだまだ怒りっぽく、衝動が抑えられない傾向にあるので、要注意な状況ですが、、、ちゃんと子供達にフォローを入れられるようになったり、ごめんねと謝ることができるようになったり、我が子を理解しようという心も芽生え、もの凄くカチンときても比較的はやく収まるようになりました。
本来ならこんな事しなくても良かった筈で、まぁ、ここにこの時代に生まれてしまったのだから仕方のないことなのかも知れません。
困った状態に陥ったからこそ、たどり着いた意識領域でした。
困っていなければ、特に必要はなくて、メタ認知力があるから凄いとか凄くないとか、そういう次元の話ではありません。生活に困らないように、脳を意図的に刺激して育てるしかなかったのですね。
それはコントローラーを握って操縦する姿そのものです。どのボタンを押すとどう動くのか。ボタンとボタンの組み合わせてどんな技が出せるのか。自分は何のボタンを押したことがないのか?他にはいくつボタンがあるのか?そもそもそのボタンが私には備わっているのか?
毎日毎日コツコツとやっていくことで、見える世界が違ってきます。
ニュアンスが伝わってくれると嬉しいです。こんな人もいるんだよ程度に参考にしてもらえると本望です。
二次障害を起こしても希望はあるのだと、お伝えしたくて記事を書きました。この記事をみなさんは読んでどう感じたでしょうか。何となくでも道筋が見えてくれたら嬉しく思います。
何故生きなきゃいけないのか?
生きる意味は何なのか?
生きていたくない。