脱スピリチュアル!人間は歴史的に、わからないことや未知の事柄を物語に見立てて解釈してきた

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どうもnimoです。

スピリチュアルに傾倒して痛い目にあい、どうしてこういうふうになってしまったのだろうと…私はずっとずーっと考えてきました。

結局はスピリチュアルは…
自己肯定感が低い人たち、アダルトチルドレンの人たちをカモにした精神世界ビジネスの場でした。ビジネスですから、多くの人の問題は解決されず搾取され続けるという、地獄のような場所。

私はそういう構図が許せなくて数年前に脱スピリチュアルをしましたが、未だ教祖のように振る舞って搾取を続けている人がいます。気をつけてね。脱スピしてからが本当のメンタル回復が始まるよ。

でもね、スピリチュアルって愛される面もあるんですよ。世界観が面白いの。

nimo

わたし、神秘系の世界観大好きっ!

みなさんはどんな世界観が好きですか?

ごっちゃ混ぜじゃないですか。あの人は天使物語の中で生きているし、この人は龍神物語の中で生きているし、その人は仏教の中で生きているし、それでも同じ今この瞬間を生きている。ふしぎ。

要はそれぞれのキャラクターから教義なんかを学ぶわけですが、そこは非常に曖昧な線引きで架空のキャラが入り混じり、信仰というのは実に自由で、エンタメのような面白さがあります。

しかし同じ出来事や同じ現象のことを話していても、一瞬でパッと通じない場合があります。だって物語が違うと、同じことを話していても表現が違うんですもん。あっちの物語では〇〇というのに、こっちの物語では△△って言っていて、一見同じことを喋っているとは分からない複雑さがあります。

そこで誕生するのが科学。科学は世界各国老若男女、どんな人が使っても共通理解が図れます。そりゃ科学が急速に発達したのも理解できますよね。

ふしぎな真理物語がいくつもある理由をchat GPT3.5に聞いてみた

チャット

ではなぜ人はこんなにも物語を作り出してきたのでしょうか?

ちょっとchat GPT3.5に聞いてみました。

スピリチュアルや宗教は、理を物語化したもの?

スピリチュアルや宗教の観点から、理念や神秘的な真理はしばしば物語や象徴を通じて表現されます。これは、人間の理解と表現の限界に直面する場合、複雑な哲学的、宗教的、倫理的なアイデアを伝える方法として機能します。以下は、スピリチュアルや宗教的な物語が理を物語化する方法の一例です:

  1. 神話と宗教的物語: ほとんどの宗教には、信者に対して宗教的な教えや価値観を伝える神話や物語が存在します。これらの物語には、神聖な真理や道徳的な教訓が含まれ、信者に人生の意味や目的を示唆します。たとえば、キリスト教の聖書にはキリストの教えや聖書の物語が含まれており、仏教には仏陀の生涯や教えを伝える物語があります。
  2. 象徴と比喩: スピリチュアルや宗教的な教義は、しばしば象徴や比喩を用いて複雑な概念を説明します。たとえば、キリスト教の聖餐式では、パンとぶどう酒がキリストの体と血を象徴しており、信者がキリストの教えを追求し、その精神的な力を受け入れる象徴的な行為とされています。
  3. 神秘主義と啓示: 神秘主義的な伝統では、神秘的な体験や啓示を通じて真理や宇宙の本質にアクセスしようとする試みが行われます。これらの体験は言葉では説明しにくく、物語や詩を通じて表現されることが多いです。

宗教やスピリチュアルな物語は、信者にとって宇宙の真理や人生の目的に対する理解を提供し、道徳的なガイダンスや精神的な励ましを提供する役割を果たしています。これらの物語は、人間の心や魂の深層に訴えかけ、信仰と精神的な成長の基盤となります。しかし、宗教的物語は信仰とは異なり、個々の信念や信仰体系に依存するため、異なる宗教やスピリチュアルな伝統に異なる物語が存在します。

イメージ湧いてきますね。分からないことは、想像の部分で補ってきたんですね。スピリチュアルっていうのは、複雑で理論として腹落ちしにくいものをイメージ化してストーリーにまとめ上げたものなんですね。そこに心の健康を維持しようとする試みが組み込まれているんですね。

もう一つ、枠を広げて人間はどうなのか?と聞いてみました。

人間はわからないことを物語に見立てて解釈してきた?

はい、人間は歴史的に、わからないことや未知の事柄を物語に見立てて解釈し、理解しようとしてきました。このアプローチは、神話、宗教、伝説、神話学、哲学、文学などの文化的な伝統に広く見られます。以下はそのいくつかの例です:

  1. 神話と宗教: さまざまな宗教や神話体系では、宇宙の起源、人間の存在、善悪、死後の世界など、大きな哲学的な問いに対する解答として神話や宗教的な物語を提供しています。これらの物語は、宇宙や人間の存在についての複雑な問いに答えを与える試みと言えます。
  2. 文学と哲学: 文学や哲学の作品は、人間の内面や人間関係についての深い哲学的な問題を物語を通じて探求します。たとえば、ギリシャ神話やシェイクスピアの戯曲などは、個人の道徳的選択や宿命について考察し、物語を通じて理解しようとします。
  3. 科学の物語: 科学の歴史においても、未知の現象や自然の法則を理解しようとする物語が存在します。科学者は仮説を立て、実験を通じてそれを検証し、新たな物語を作り出します。この物語は、科学的な発展と理解の進歩に貢献しています。
  4. ファンタジーとSF: ファンタジー小説やサイエンスフィクションは、未知の世界や未来の技術を物語に取り入れ、読者や観客に新しい視点を提供します。これらのジャンルは、現実世界の制約から解放された物語の形で未知の事柄にアプローチします。

これらの物語は、私たちが世界を理解し、存在の意味を探求する方法の一部であり、人間の探求心や好奇心を満たすための重要な手段として機能しています。物語は複雑なアイデアを伝え、未知の事柄に対する人間の関心と創造力を刺激し、新たな解釈や理解を提供するのに役立っています。

そうか、そうか。仮説というのも物語なんですね。(ちょっと意外で面白い)科学者も仮説という新たな物語を作り出しているんですね。

人間は頭で考えても分からないこと、事実が検証できない時など、物語を利用して探求する傾向にあるようです。なんか検察みたいですね。

スピリチュアルに傾倒する時の傾向

祈り

私がスピリチュアルに傾倒した時、人生どん底でこの先どうしたら分からない時でした。結構スピ界にはこういう人が多かったです。

認知認識が歪んでいて考え方の基礎が分からなくて何をやっても上手くいかず人生に行き詰まったタイプの人は、、、(わたしわたし)大人になっても理を理論で落とせなかったので、物語に頼って理解しようとするんですね。その試みの場所がスピリチュアル界に多いんですね。

chat GPTが教えてくれたこと、なんか納得できますよね。

さいごに

黄色い花

スピリチュアルなどの創作物語の世界線で生きている人と、そうでない科学を採用して生きている人と、本来優劣はないと思います。

ただね、教義に関してはやっぱり創作物語には穴があると思います。スピリチュアルは特に構成が主観的だと感じます。わたし自身全然幸せになれなかったですから。

そしてスピリチュアルに寄ってくる人の性質(自信がないとか、自己肯定感が低いとか、アダルトチルドレンだとか…)を悪用して、搾取するビジネスが横行しています。そういった面で市民権を得られないんですね。

宗教に関しては知識がないので深く言及できませんが、日本の文化に根付いてきた仏教すら、現代の日本人は興味関心を持っている人は少ないですね。その世界観よりも頼りにできる何かを無自覚で選択しているのかもしれませんね。

nimo

純粋に世界観をリアルで楽しむ新しいジャンルが誕生すると良いですよね。とはいってもないのが現状……。残念。

わたしは神秘系の世界観が好きですけど、リアルにその世界観を当てはめて暮らしていくのは…もう良いかな。変な人に絡まれて面倒臭いんですもん。止めてからはお金もたまるし、ストレスも減るし、良いことが増えましたしね。

神秘は映画などのエンタメで楽しむだけにしておこうと思います。

 

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