今回のこの記事は前々から書きたかった「不思議な世界について」です。この世界にはオカルトと呼ばれる幾つもの不思議な世界が混在していますよね。
霊能者、陰陽師、天使、妖怪、精霊、神様など、多くの人が視る事の出来ないものを、実際に感じたり見えたり操ったりする人がいるのは事実です。
子供の頃からずーっと不思議且つ魅力的だったこの世界。テレビで憑依された人を除霊する霊媒師を見たり、陰陽師の世界に引き込まれてしまったり、なんで自分には出来ないのだろう?どうしてこの人たちは出来るのだろう?と思ったものでした。
みなさんはどうですか?自分には見えないけれど、でも絶対にいないとも言い切れない、なんとも歯ぎれの悪い曖昧な感じで暮らしてはいませんか?
私が38歳の時にハマってしまったスピリチュアルの事を話せば、当時は人生迷走中で打開策が欲しくて、龍神・天使・ソウルメイト・非二元・レイキなど、目に見えない世界を片っ端から手当たり次第に学んでいきました。
スピリチュアルに傾倒していた時の感覚は、こんな感じでした。
催眠術にかかっているような状態でした。(かかった事はないけれども、、、)
起きているのに、夢の中にいるような不思議な感覚です。いつも頭がぼーっとしていました。
スピリチュアル界では結局どれもこれも完全に信じきる事が出来ず、違和感を感じて止めしまいましたが、その催眠が解けて、目が覚めたら・・・
そう思うくらい、とてつもなく頭がクリアになって驚きました。まるで台風一過の空のよう。スカッと軽く気持ちの良い気分でした。
私はこの時、様々な洗脳から目覚めました。
スピリチュアルに限らず、社会的なルール、道徳観、宗教観、そんなものから一旦降りたんですね。
そしてそのまっさらになった思考で、生まれて初めてですよ、、、「自分の頭で、この社会・この世界でどう生きていくか」を考えられるようになったんです。
でも面白いことに「敢えて」これまで通り、マナーを重んじたり、ルールを守ったり、そういったことを選択をしていく事が多かったですね。それでもまるで別人にでもなったような感覚を得たことを今でも覚えています。
それほど頭の中の動き方がガラリと180度変わったということです。
もうあの頃に戻りたくありません。
絶対に今の方がいい。
それでも未だにこんなことを思っています。

幽体離脱をしてみたいっ!
へ?ですよね。でも面白そうじゃないですか。ちょっとした好奇心です。ついついそういう不思議な部分に興味を持ってしまうんですよね。
アラフォーにもなってオカルトが好きだなんて馬鹿にされそうですが、それもこれも自分がHSPと呼ばれる繊細さんだったり、感受性が豊かだからと思っています。
そういった興味関心とこれまでの経験が重なり、いつしか雑多にある統一性のない世界に共通点のようなものが見えてきました。
はい、今回の記事はその共通点についてです。『人間はひとつの同じエネルギーを、好みの幻影を当てはめて視ているという』という内容になります。
Contents
不思議な世界はバーチャルリアリティ

不思議な世界とは一体どんなメカニズムで起こっているのでしょうか?
以下は私の考察でありますが、このようなイメージで捉えてみてください。
人間の脳は柔軟で無限の可能性を秘めているので、自由に想像して感じて、無いものも有ると信じ込むことができてしまいます。そういった性質似より、各々の信じる対象物に変換して、脳内でストーリーが繰り広げられてしまいます。それは機械なしでバーチャルリアリティをしているようなものです。

そうそう、幻影なんです。
みなさん自由気ままに、心の中に描き出した世界観を楽しんでおられます。
天使、神・妖怪などにも漫画のようにキャラクター設定がありますが、そういう設定をどこぞの誰かが作り上げたのは言うまでもありません。天使を広めたドリーン・バーチューさんのように、作った本人は完全に〇〇がいると信じてキャラクター設計をして発信しています。
それを見聞きして頭にインプットした周囲の人が、次第に〇〇はいると完全に信じてしまい、幻影バーチャルゲームがどんどん広まっていったのだと考えられます。
幻影から科学へ

現代は過去の研究の積み重ねによって成り立っています。あらゆる分野の専門知識が暮らしに役立てられています。
昔は科学が発達していませんでしたから、科学で説明出来ない部分を、皆が共通認識出来るように上手くストーリーに変換し、暮らしに役立てていました。現代で言われるオカルトを利用して、災害や疫病を乗り切っていたのですね。
シャーマンや陰陽師、霊術などは、わたし自身が超感覚を認識している者として完全には否定しませんが、やはり長けている感覚で大まかにでも広くて奥深い世界を感覚として捉えていく能力はあったものと推測します。
個人的には統合失調症と呼ばれる病気との垣根は、生活に支障が出るか否かだと考えています。病気の主な症状は幻覚や妄想ですから、一度でもスピリチュアルの世界を信じてしまった私にも統合失調症の要素はあったと自覚しています。明らかに妄想であり幻影ですから。
例えば節分の鬼に関して言えば、今や幼稚園で利用する絵本にもこう説明されています。
昔の人は、病気や悪いことは鬼が起こすと考えていたよ。
チャイルドブック
昨今の日本では、鬼は文化としてのキャラクターとして受け入れていますが、そのストーリーを利用した教育は過去のものとなっています。
また、幼児番組のしまじろうのわお!では地震についてこう放送されていました。
地球が動いているから地震も起きる。昔は地面の下にナマズがいて、地震を起こしているとも言われていたが、実は地球の表面が動いているから起きるんじゃ。
しまじろうのわお!
現代の日本では、多くの人がざっくりとでもプレートがどうのこうので地震が起こることを知っています。科学が発達していなかった時代には、想像力を働かせていたことがわかりますよね。
それが当たり前でしたし、むしろそれしか出来ませんでしたし、不思議な世界を安易に信じ込む人は多かっただろうと思います。
やがて事実に基づいた科学が発達し、教育も定着し、現在では一般市民も科学というものを利用して問題を解決していくようになりました。知識を得て科学を操る魔導師になった方が、やはり解決がはやいものです。
日本ではもはや不思議な世界は文化やエンターテイメントとして存在しています。文化に深く浸透している仏教ですら、心の拠り所にしている人は少なくなっている時代に突入しています。
世界の認識の仕方もSDG‘s

日本では宗教観も抜けてきて、幽霊も死後の世界も信じない人が増えています。葬式も残された者のための節目として存在し、簡略化されてきています。初詣ひとつとっても、恒例行事として行っているだけの人がほとんどじゃないでしょうか。
本当に神仏を信心している人はとても少ないなというのが印象です。
そんな現代でも目で見えないモノを信仰している人は未だ存在します。ですから本当に信じきっている人がいるので、「絶対にない」と言い切れない曖昧な認識でいる人が多くいると思います。もちろん私もその一人でした。

そもそも妖怪、妖精、天使、神様、宇宙人、、、世界にはどうしてこんなに、あらゆる不思議な世界がごちゃ混ぜに存在するの?
常々そう思ってきましたが、スピリチュアルを止めたことをきっかけに不思議な世界の見方がガラリと変わりました。
ある日の出来事です。私が見る限り野良カウンセラーが蔓延るスピリチュアル界ではメンタルを回復することは難しいと感じていた中、とても正義感の強い方がSNSで霊障のボランティアをしているのを見かけました。
その時私は比較的頭がクリアになっていたので、「この方はなぜ霊感を扱ってボランティア活動をされているのだろう?」と不思議に感じていました。お金を取る訳でもなく、人のエネルギーを悪用している素振りもありません。
発信するツイートを読む限りとても誠実な方。なのに霊感的な念符やヒーリングを扱っているので、不思議でたまりませんでした。

本当にこの世界はあるのだろうか?
私はすごく引っ掛かり、この疑問を心に問い続けてきました。
なぜなら私は感覚が過敏な為に、オーラ鑑定やエネルギーヒーリングができるのですが、この能力も人から見たら異質であり、自分も他人からは疑問且つ怪しいと思われている側だということを自覚してきたからです。
するとその内ですね、わたしの行っているオーラ視やヒーリングと、その霊能者が行っている行為が、カタチは違えどほぼ同じだということに気付きました。

そうか、そうか。ごちゃ混ぜの不思議な世界っていうのは、多様性なんだ。
例えば、、、
Aさんが発している苦しそうなエネルギーを私はくすんだ色で見ているけれど、あの方は邪気と捉えているのかもしれない。そして解釈はきっとほとんど一緒なんだと思います。
私のように感覚に過敏なタイプの人が過去にも沢山いて、そういう人たちが当時科学は発達していませんでしたから、空想を利用して陰陽師やら霊媒師になったのかもしれないなと感じました。
下は以前私が呟いたTwitterです。
同じエネルギーを
@2molog Twitter
ある人は守護と言います。
ある人はマリアだと言います。
ある人は龍神様だと言い、
ある人は色(オーラ)で表します。
同じものを好きなように解釈して脳裏に映しています。考察に過ぎませんが、とてもシンプルな落とし所だと思います。
この世界の見方も単なる多様性。
人間の状態や起こる現象を小説さながらキャラクター化したり、気というもので表現してなるべく人々が分かりやすくイメージできるようにしたりしているのですよね。
私がオーラリーディングやエネルギーワークで言う「エネルギー」というのも、まさに状態や現象のこと。
世界各国の言語が違うのと一緒です。
日本語で言う「橋」は 英bridge 独Brücke 仏le pont 伊ponte 露мост …といくつもの言語が存在しています。その言語を扱っている者でないと通じませんが、言葉が指す対象は同じなんですね。
不思議な世界であろうが科学であろうが、大元は同じエネルギー。
知識や理解力・嗜好に合わせて、どう概念化するかの違いです。
科学は確かに事実であり、その範囲で利用すれば安心できると思います。
しかし霊や神秘などの世界で起こる現象の見落とし、解明できないものを「オカルト」として嘲笑う風潮には悲しさを感じます。
私たちは心地よく生きるために、自分に合う認識の仕方を選び利用できればそれでOKなんじゃないでしょうか。
私は基本的には科学的な学びを採用していますが、エネルギーヒーリングなどはイメージを利用してどうとでも自分のエネルギーを変調できますので、もうそこは科学は面倒臭い部分もあって利用はしていません。
私はリアルの自然のイメージを好みますが、精霊や神、色などをイメージしてヒーリングをする方もいらっしゃいます。困ったことになったり、悪循環の起こらない範囲であれば、それはもうどう解釈したって自由でいいのだと思っています。
ある人は幽霊に。
ある人は天使に。
ある人は妖怪に。
ある人は科学的に。
人々は同じものを多角面からのアプローチで認知しているのですね。
不思議な世界の考察
それでは不思議な世界はバーチャルリアリティのエンタメだという事で、思いつく限りのジャンルを、簡単ではありますが抜粋で考察していきたいと思います。
幽霊

生まれながらに幽霊が視える人がいますよね。不思議でたまりません。未だに分かりませんが、私はこう考えるようになりました。
昔から語り継がれる「洗脳」です。
洗脳されると幻覚妄想が起こります。
起こらなくても、感じる様になります。
また幼い子どもは、知っているもので自発的に解釈するのかも知れません。だから無いものを見てしまうのかも知れません。
私はテレビの特番で怪奇現象などがやっていると、必ずと言っていい程首元が苦しくなります。それがどういった仕組み起こるのかは知りませんが、「怖い」という感覚が起こると、緊張などで起こる肉体的な作用なのかと思っています。
そんな時、必ず幽霊が近くにいるような気がしていました。勘違いなんですが、テレビで見た怖い心霊現象を思い出すたびに、その現象のエネルギーにアクセスしてしまい、それが側にいる様に感じていました。
いると信じきっていると、見間違えが起こります。統合失調症のように、現実との垣根が無くなってしまいます。きっと今の私のオーラのように頭の中で見えてしまうんじゃないかと思います。そして現実との境界線が曖昧になってしまっているのではないかと思います。幼かった私も黒い影を見て怯えた事がありました。
今では念というものが分かってきたので、生霊は何となく説明がついてきました。人が放つ感情エネルギーですね。誰かを想いすぎたり、恨み過ぎたりすると、その人のところにそのエネルギーが居座るんです。
これ以上の考察はまだできていませんが、ざっくりとそんなところかと思います。
妖怪

妖怪は、災害や不運などの現象の投影です。
一つ目小僧や枕返し、一反木綿、座敷わらしなどなど、こういう時にはこういう現象が起こるという情報をキャラクター化したものです。特に妖怪は悪い作用を及ぼす情報をキャラクター化したものですね。人々が理解しにくいものを分かりやすく表現したというわけですね。
- 人間活動において、環境に調和できない部分への注意喚起
- 人の欲が過剰になった時に表面化する状態を表現したもの
その現象に対してどう行動していけば良いのか?を選択していたのだと思います。そうやって面白く表現していく方法は、現在の芸術と重なります。素晴らしいですよね。
神様

神様も数え切れない種類のキャラクターがありますよね。
「八百万(やおよろず)の神」という言葉はご存知でしょうか?昔から人々は自然に寄り添って生きてきた為、身の回りのありとあらゆるものに神様を感じて生きてきました。自然信仰ですね。
神様というのは多種多様です。山、川、海、岩、大木などを神として信仰したり、商売や学問の神様、縁結びの神様などがいるという設定が現在にも未だ根強く残っています。
私が受験の時に菅原神社にお参りに行ったように、節目や縁かつぎに祈願に行く方も多いと思われます。
例えば七福神。言霊思想、アファメーションの様な効果がもたらされます。
- 七福神
- 恵比寿ー商売繁盛
- 大黒天ー五穀豊穣
- 毘沙門天ー厄除け・福徳
- 弁財天ー芸能・学問など
- 寿老人ー長寿延命・諸病平癒
- 福禄寿ー子孫繁栄・財運招福・健康長寿
- 布袋ー笑門来福・夫婦円満
実際問題ご加護というものはありませんが、商売繁盛・五穀豊穣など、目標を掲げるとそこに向かって意識転換するきっかけになります。
祈祷をすると気持ちが洗われた気分になったり、絵馬などを書くと気が引き締まりますよね。全て同じ作用です。自分の意識を良い方向へ持っていくには、神様系は便利に使えるんですね。
無論頼っているだけでは変わらないのですが、辛い時期をのりこえる希望になりますよね。
高次元宇宙

私たちは現に宇宙に住んでおり、宇宙人なのですが、エササニやらスタージード、バシャール、チャネリング、宇宙語、宇宙の法則などとスピリチュアル界では大分高次元宇宙で賑わっています。
結局スターシードは発達障害の特徴と大きく重なり、現代が生きにくい人たちの集まりの場となっています。宇宙的な広い視点から人間社会を客観視していくものになります。
おおよそ自己否定型の人がいったん現実から逃避をすることで、心休まる時間を確保し、新たなパターンでこの世界を認識し、仲間との共感で癒されながら、現実を前へ動かしていく物語です。
宗教とは違うカタチのSNSやオンラインサロンなどの「コミュニティ」として存在しています。
チャネリングというものは、私が思うに「自分の心の声」です。イタコは魂を憑依させて依頼者に癒しを与える役割を果たしますが、高次元宇宙系は宇宙人が憑依して教義を説きます。
果たしてこれが本物かはさておき、高次元宇宙も神様と一緒で、自己否定的な意識を転換させるための物語であることには違いありません。
私もいつだかハイヤーセルフにチャネリングをした事がありましたが、「なんだ、自分じゃん」と思ったものでした。
オーラ

最後にわたしの見ているオーラについてです。
オーラとは、実は誰でも感じていると思っています。オーラとはその人の状態だったり、本質だったりを感じる情報から読み解く手法になります。
私は依頼者のオーラが脳内に色で表されますが、それが一般の方だと芸能人や動物なんかに例えています。
- あの人は猫みたいな人だよね
- あいつは狐みたいなやつだ
- お隣の旦那さんってまるでサッカー選手の〇〇さんみたい
- 破天荒ぶりが勝新さんみたいね
単なる比喩表現なんですが、外見だけにとらわれず、その中身の力強さやずる賢さ、優しさ、包容力などのエネルギーに触れた時、自分の知っている情報に重なって見えるんです。それがオーラリーディングです。
霊感商法になると、停滞した情報を読み込んだ時には、邪気や妖怪、祟り、憑依、呪いなどと表現し、そのバランスを取るために、龍神、神様、天使などのエネルギーだと言って、ヒーリングや除霊を行ったりするんだと思います。
幽霊の寿命は200年説から思うこと

どこで聞いたか忘れてしまったのですが、幽霊の寿命は200年だと言われているみたいです。どこかの人が研究したのだと思われます。
落武者の幽霊は、現在誰も見ないそうなんですよ。
なーんか納得しますよね。
200年も経つと落武者について伝承する人がいなくなりますから、もうそのエネルギー(記録)をリアルとして呼び起こせなくなってしまうんですよね。
人は自分の知識や経験、想像力の範囲でしかバーチャルリアリティを起こせません。
落武者なんて、もう映画の世界です。フィクションとしてしか呼び起こせないのではないでしょうか。そうすると錯覚も起こらなくなってくるのでしょうね。
こう色々と紐解いていくと、現実がクリアになってくると同時に、少しつまらなくも感じますが、以上が私の考察になります。
さいごに

この世界を把握するのに、私は40歳を超えてしまいました。
HSPという感覚に敏感なタイプの私は、こういったエネルギーを深く感じてきました。学力は人並みにあったものの、理解力がとても低く、全体を把握するのにとても時間がかかってしまいました。
脱スピ後、嫌で避けてたスピリチュアル界も霊界もそんなに憎むほどのものではなくなりました。別に有っても良いや〜みたいな。
しかし悪循環を起こしているビジネスには「ちょっと待ったー!!!」ですね。作品として世界観は愛しても、クソみたいなぼったくりの被害は無くなるべきだと思っています!!!
実に・・・科学だけではつまらないんですよ。知れば知るほど人体がロボットのように感じていきます。困らない程度に世界観に浸ることは毒ではないと思っています。
私はやっぱりレイキに惹かれただけあって、生命エネルギーの世界観は好きですね♡
みなさんはどんな世界がお好みですか?
これが錯覚かっ!