ミニマリストをしている時、
わたしはとても苦しかった。
それは言い逃れのできない事実でした。
一見上手くいっているようで、こころの内壁は刃物のように鋭く、鉛のように重たいものでした。
究極の一品を手にしてみても、必要最低限のモノに囲まれて暮らしてみても、そこに安らぎが見つからなかったのです。
凛とした空気とはちがう厳しさ。少し叩いたら脆く崩れてしまうかのような弱さ。結婚する時にイメージした、あの癒やしの空間とはほど遠い家を、、、わたしは作ってしまっていました。
ある日気づきました。
家族4人で暮らしているに、
この家には私しかいなかったことに。
私が好むジャンルでの統一
私だけが快適な収納方法
私だけが使いやすい道具
私は私だけの主観を押しつけて、暮らしをカスタムしていたのです。ちゃんと子供のオモチャだってあります。夫が選んだ家具や家電だってあります。
それでもこの家は、私のエネルギーで支配されていました。見えないルールで縛り上げ、家族を外に追いやっていたことを感じたのでした。
その次元が見えた時、わたしは悲しくて悔しくて、情けなく思いました。
その日わたしは、ミニマリストの肩書きをおろしました。
「こうすべきああすべき」という主観。
「しなければならない」という強迫観念。
わたしに絡み付いた柵をひとつひとつ確認していきました。
そしてそこから大切にしたい宝物をピックアップし、これらを育てていくと誓ったのでした。
- 一家団欒できる環境を整えたい
- 掃除嫌いな自分の為に、掃除が簡単な家にしたい
- 探し物が少ない家を目指したい
- 子どもが自ら身支度が出来るような動線にしたい
- 子どもが手段を選べるような環境づくり
- 個人の趣味活動を応援する環境づくりなど
物を減らすだけではなく、
不要なものを持ち込まないようにするだけでなく、
方法論にこだわるのではなく、
最高の一品にこだわるのではなく、、、
家族の幸せが自分の幸せなんだと視点を変え、家族の得意不得意を観察する毎日が続きました。
見た目の綺麗さより、個人の活動のしやすさを重視し、試行錯誤を繰り返しました。
且つこれまで培った技術でインテリアや動線などを調和させる楽しみが生まれました。
するとわたしはミニマリスト時代では味わえなかった安らぎを感じるようになっていったのです。
大切な人たちの活気がうれしい。
もちろん子どもたちには「片づけなさい」と怒るけれど、それでも散らかるほど多種多様の「物」に毎日触れ、そこからインスピレーションを感じる事は豊かさでありました。
特に目を引く格好のいい部屋ではないけれど、だんだん家族が馴染む、居心地のよいホームになってきました。
現在は長女が小学生になり、生活スタイルも変わってきました。リビング学習が定着し、それにつられ妹たちの遊び方も変化してきました。
シンプルを履き違えていたあの頃
自分の心を確認したあの日
実家感を育てた数年
誰かがいなくても、誰かを感じる部屋
なんとなくあったかい部屋
大切がそこらへんに転がっている空間
ミニマリスト時代の写真を目にする度に、これでよかったと振り返るわたし。デメリットがあるとするならば、すぐに足の踏み場が無くなるほどごちゃごちゃすること。そのために掃除も大変になること。
それでも今の方が断然いい。
犠牲はみんなで分け合っていい。喜びもみんなで分け合っていい。凪であることを求めない。完璧であることを求めない。波があることは健康的で喜ばしいこと。大波だってたまにはいいはず。
シンプルライフは物を少なくすることじゃありません。最高を手にすることでも、カッコつけることでも、世界観を統一することでもありません。
価値観に見合った選択をしていくこと、
その世界を育てていくことでした。
自分にとって重要な価値観がわかった時、小手先のテクニックに固執することがいかに無意味かを知りました。そして価値観を大切にしていくために、時にはそれが必要になってくることも知りました。
ミニマルが悪いわけではありません。単なる手段として存在し、それが必要になるときに使えばいいのです。わたしは今、部分部分ではミニマルを採用しています。しかし主として採用していません。それが私の目的にとって重要だからです。
ミニマリストからの回復で見えた、
究極のシンプルライフ
それは特別なことでは無く、
みなさんがもう既にやっていることでした。
「大切なものを大切にして暮らすこと」
これからはもう迷うことはありません。
これがわたしのミニマリストからの回復と、
シンプルライフの答え。
これからもまだまだ育てたい。
笑顔の花が咲きますように。
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